宮崎市佐土原歴史資料館

施設案内

鶴松館

 明治2年(1869)佐土原藩主島津家は居城を広瀬に移し、佐土原城は廃城となりました。城跡は田畑になっていましたが、それから120年後の平成元年(1989)に発掘調査が行われ、柱穴・根石や石組・木組の暗渠などの遺構が見つかりました。これらの遺構に基づいて、二の丸跡に大広間・書院・数寄屋が再現され、平成5年6月に鶴松館が開館しました。

大広間

 ここは、藩主が他藩の使節等と対面する際に使用した大広間を再現しています。向かって左奥が、藩主が対面する部屋です。向かって右手奥の部屋では、佐土原人形を展示しています。

書院

 ここは、藩主が日常政務をとる書院の外観を再現しています。内部は、古代から近現代にかけての佐土原の歴史をわかりやすく展示・解説しています。

巨田神社棟礼

 佐土原町上田島にある巨田(こた)神社は、田島荘の鎮守として寛治7年(1093)に宇佐八幡宮から勧請
されたと伝えられる古い神社です。その本殿は、室町時代の神社建築様式を残すもので、22枚の棟札ととも
に国の重要文化財に指定されています。当館では棟札を保管しており、その一部を展示しています。

二ツ建天神社天満縁起絵詞

 佐土原町広瀬の二ツ建地区にある天神社(現在の二ツ建神社)の社家に伝わる絵巻物で、現在、当館に寄託されています。近世初頭の慶長11年(1606)作で、宮崎市の有形文化財に指定されています。

錦の御旗

錦の御旗(複製)

 錦の御旗とは、朝廷の軍(官軍)の旗印のことで、鳥羽・伏見の戦いに始まる戊辰戦争時に新政府軍が
使用しました。展示品は、明治元年(1868)6月5日、佐土原藩主島津忠寛が佐土原藩兵を率いて参内
した際、明治天皇から賜ったもので、現物は宮崎県総合博物館に所蔵されています。

きょうぶんこうの印

きょうぶんこうの印

 明治9年(1876)、旧佐土原藩主島津忠寛の三男・島津啓次郎によって設立された私学校の印です。啓次郎は安政3年(1856)佐土原の生まれ。明治 3年に勝海舟の薦めでアメリカに留学。同9年に帰国後は佐土原に戻り、廃寺となった三納(西都市)の谷照寺(国昌寺)跡で「自立舎」と名づけた学習会を開始します。その後、広瀬天神山に「きょうぶんこう」を設立しましたが、翌年西南戦争が勃発すると西郷軍に参加し、明治10年9月24日、西郷隆盛らと鹿児島の城山にて戦死しました。

西郷札

西郷札

西郷礼

 明治10年(1877)の西南戦争で西郷軍が使用した軍票です。佐土原町広瀬の瓢箪島で製造されました。西郷軍の支配下にあった地域で流通しましたが、西郷軍の敗北にともないその価値を失い、明治政府からの補償もなかったため、これを引き受けた商家が没落するなど、経済的ダメージは深刻なものがありまし た。

その他

 ほかにも当館では古代から近現代にかけての多くの史資料が展示してあります。

数寄屋内部

数寄屋

 ここは、茶室などで使用された数寄屋の外観を再現しています。内部では、佐土原島津家の関係史料などを展示しています。

商家資料館「旧阪本家」

 阪本家は江戸時代から続いた味噌・醤油醸造販売を営む旧商家で、この建物は明治38年(1905)に建築されました。平成12年(2000)5月、宮崎市の有形文化財に、また平成20年12月1日には、宮崎市景観重要建造物に指定されています。

 佐土原の町の旧商家の建物は、切妻屋根造りに妻から入る基本の型と、この型の2・3軒分の土地に切妻屋根造りまたは入母屋根造りに平から入る型に分かれます。
旧阪本家の建物は、後者の「重層入母屋根造りの平入り」型になります。
この地周辺は、江戸時代、佐土原藩の町人町として位置づけられ、城が広瀬に移った後の明治期以降も旧城下の町人町として栄えました。しかし、近年古くからの建物が少なくなっていくなかで、阪本典章氏から建物寄贈を受け、旧佐土原町によって保存のための改修工事が施され、商家資料館として活用しています。

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